皆さん、こんにちは、こんばんは、おはようございます。
もちろん今回も部活動について触れようと思います。

 私は教育学部に在籍していますので、教科教育のほかにも特別活動とった部活動に該当するカリキュラムの勉強もしています。そこでよく言われるのが「自主性のある活動」という内容です。具体的になんだと私も思いますが、つまりは部員が自分たちで計画実行反省の一連の流れを組織するということだと私は解釈しています。教育基本法には、「部活動は,学校教育活動の一環として,スポーツや文化,学問等に興味と関心をもつ同好の生徒が,教職員の指導の下に,主に放課後などにおいて自発的・自主的に活動するもの」と明記されています。つまりは勉強をする者同士という、学校の意義として必要不可欠な学習・勉強・学問という分野に励む者同士が趣味的に行う活動とされているのです。

 今日の日本の部活動業界で問題視されているのは「練習時間の減少」です。働き方改革の影響で公務員の労働時間も修正され、学生側にも週に一日は休みの日を入れなければならないとのお達しがありました(具体的な法案等は各自でお調べください)。この影響で、部の全体活動時間は従来とは比べ物にならないくらい減ります。これに嘆くのはせいぜい吹奏楽部くらいでしょう。全日本吹奏楽コンクールにおいても、習志野高校吹奏楽部の全国大会出場が危ぶまれましたが、出場したものの銀。他の公立も金を取っていますが、工業大付属高校や工業高校といった、普通科ではない高校が多いのです。国の考えとしては、公立教育機関は国が定めた教育機関であり私的な活動時間を許容して学生の健康状態に悪影響を及ぼし、学業に集中できないという事態が発生してはいけない、もし自分が武芸にいそしみたいのであれば私立に行けばいい、というものでしょう。そして何よりも私立は部活動に全力であることをよくアピールします。吹奏楽部のコンクール相場は「うまく演奏して金をとる」から「私立から金を奪う」に変化していき、これからは「支部大会を抜けても、上位大会で結果を残せない」という事態が公立高校の各所でみられることでしょう。

 こんな部活動の立ち位置が厳しくなった現代において、いかに部活を運営させていくのか、私も一人の教師志望としてよくよく考えなければなりません。特に、吹奏楽部は全部活動に比べ、準備・練習・本番・片付けと時間のかかる項目を多く抱えているので、時間がないとなると、とても痛手です。他の、手ぶらでもできる部活に比べ、吹奏楽部の資本はある程度大きさのある「楽器」なのですから。

 
 吹奏楽部の厳しい現状が分かったところで、練習の中身に触れてみたいと思います。
 うまいバンドは「基礎も曲に聞こえる」ほどにベーシックに力を入れています。うまいと一口に言っても、コンクールの結果だけではありません。音の鮮明さや、技巧の高さ、部員の演奏中の体の動かし方、様々な面において「うまい」といえるバンドです。やはり基礎は大事なんですね。基礎を大事にするというのはプロのバンドクリニックでもよく言われます。基礎ができていない状態で演奏するのは、シェフが料理の下準備をせずに調理し始めるくらい無謀なことなんです。出来上がった料理もお粗末になってしまいますよね。

 では「下準備」にかける時間はいかほど必要か考えてみますが、答えは一様に定まるわけではありません。個人個人の技術レベルはもちろん、吹奏楽への熱意の温度差もあったり、変動因子が多すぎて、これが正解だ!とは言い切れません。つまりは自分で見つけていくしかないのです。
 私は趣味でサキソフォンを吹きますが、基礎はロングトーンとインターヴァル練習しかしません。基礎が苦手というか嫌いで、基礎をやりすぎると音楽が嫌になってしまいそうな瞬間があるので、ほどほどにしています。あとは名探偵コナンらへんの有名な曲をぴゃらららって吹いて終わりって感じですかね。もちろん専門にしないといけない部員達には私のソフトな練習なんかよりももっとハードな練習をしてほしいものですが、結局、そんな風に練習したからといってうまくなる保証はありません。
 私は「プロの演奏を聴いたり、実際の演奏会に出向いて刺激を受けろ」ということをよく部員に言います。自分がこんな音が出したいと思えるプレイヤーを見つけて、それに近づける練習をすべきです。ある種の「カリスマ性」を持つという風にもとらえることができます。基礎をがむしゃらにするのではなく、自分の理想に近づくための道路を敷く下準備として、オリジナリティをもってして計画せねばなりません。先日、セクションリーダーに基礎合奏でする予定の譜面を伝えましたが、それのみをする必要性は全くなく、それにプラスアルファ自分の道路工事の準備をするべきなんですよね。
 基礎が終われば曲練習に入るわけですが、ここでもやはりプロのバンドを参考にします。これは私の人生最大の命題なのですが、「なぜうまいバンドでは少ない練習回数であれほどの演奏が実現できるのでしょうか」。私が知っている京都のアマチュアバンド(コンクールで代表になったりするバンドです)は演奏会前を除いて週に一度しか練習していないそうです。あと、知り合いのコネで、福岡のブ〇ジストン吹奏楽団の指揮をされているTさんの話も聞けました。「プレイヤー個人個人が練習を済ませ合奏の段階ではもうすでに仕上がっているという、寄せ集めの練習になってるんじゃないですかね。それぞれが別個に団子の生地をこねて後日丸めて一個の大きい団子にする感じです。」確かにそうですよね。曲に向き合うことも大事です。実際に演奏したバンドの音源を聞いたり、スコアと照らし合わせて実際どのパートと演奏するのかソロなのかを分析したり、メトロノームと必死に向き合ってみたり。こんなことを個人で、むしろ、家でやってくると時間の無駄がなくてなおいいです。パート練習ではその生地を集めて一つの団子にし、そしてセクション練習の段階でパートごとの団子をまとめて一つの大きな団子に。合奏に木管と金管の二つ持っていき、一つにし磨きをかけ、最後にはお客さんに提供する。この流れを滞りなくこなせるのがプロです。しかも一方通行なんです。また家に持って帰ってこねなおすなんてしてたら味も見た目も色も硬さも変わりますから。これがまったく実現できていないバンドが、しっかりできるようにまでにはかなりの時間がいります。今我々はその初期段階にいるのかなと思います。団子を作るレシピなんかを準備してる段階なんですよね。これから伝統の味にできていったらいいですね。銘菓を目指しましょう。


 以上の話を受けて私としていえることは、休まれては困るということです。こんなに団体戦な吹奏楽部なのに、個人種目かのようにふるまわれるとこちら側としてはとても困ります。生地を渡すのは学校だし、こね方を教えるのも学校だし、練習に参加することは一番大事な気がします。休んで周りに後れを取って、団子不足が発生するより、非常によくない表現ですが、練習に来て何もしないほうがマシです。(断っておきますが、休む人は、精神的または身体的ハンデを持つ人たちではなく、あくまで「さぼりたい」とか「人間関係が面倒くさい」とか「練習が大変」といった理由で部活に来ない人たちのことを指します。)休んだ一日分を取り戻せるぐらいに練習してくれるかどうかはその個人にかかっています。バンド全体のことを考えずに、行きたいときに行くというような人材が部活動において求められているかというと、場面は多種多様であれど、拒まれる場合が多いでしょう。私自身にも戒めとして言えますが、組織の足かせになってしまうことの与える影響の重篤さは承知しておかねばならないでしょう。知っているのとそうでないのとではかなりの差があります。
 持病などの自分ではどうすることもできない事柄について言及するつもりは全くありませんし、むしろ他の部員はそんなことを抱えている人の力になれるように努力するべきです。「練習に参加できない」とか「したくても行けない」といったことは組織にとって悪ではありません。むしろ、自他ともにそのことについて考えて、本人がそのことにどう向き合っていくかを考えることができるいい機会です。当人にとって学校等に行くことが体に毒なら来るべきではないし、他の部員は、万全な状態になったらいつでも帰っておいでと「おかえり」を言う準備をするべきです。助け合い・支えあいは大事な社会教育ですし、福祉社会においては必須の考え方です。人間としても忘れてはいけないこの精神を部員全員で育んでいけたらベストですね。


 前出の吹奏楽への熱意の温度差について少しふれておきます。私とて、ある程度、音楽に従事する者として音楽への敬意やより良くしようという熱意は持っています。現に、完全にボランティアである今の活動のやる気の源泉はそこにある、といっても過言ではありません。全員に「ガチで」とは好んで言いません。ですが、だらけている人の振る舞いは、本気で頑張ると思っている人に対してすごく失礼なことだと私は思います。部活動という組織に所属する人間でありながら、そして本気で音楽をやりたいと思っている人が頑張っているのを見ておきながら、自分は無理だと白旗を上げ、力になってあげることを拒むのは、同じ学生・仲間・部員として申し訳のないことだと私は思います。せめて同じ組織にいるものとして、力になってあげることに自らの苦労も惜しまないでほしい。


 体調不良の子たちには頑張ってもらうより、早く良くなって部活に来てほしいので、矛盾しますが来るなと言っておきましょう。これを読んでいる季節節目の風邪をまだこじらせている人は早くバファリン飲んで治してください。


 あくまでも一個人の意見なので、納得のいかないところがあっても「あーはいはい」と思っていただけたら幸いです。次回はもう少し音楽の本質の部分に食い込んで投稿したいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございます。